1月16日

 正午を過ぎたくらいにわたしの携帯が鳴った。電話の向こう側にいるのはわたしの親友でもあり恩人でもある葵ちゃんだ。
「英奈。最近どう?元気にしている?」
 元旦に今年もよろしく!というLINEのやり取りはしたが、声を聞くのは久し振りだ。最後に声を聞いたのは1か月以上前だろう。


 葵ちゃんと出会ったのはまだわたしが10代の頃だった。わたしが一番ぐれていたときじゃないだろうか。わたしは当時デリヘル嬢とキャバ嬢をやっていた。葵ちゃんはわたしが勤めていたキャバクラの先輩だ。初めて会ったときの印象は、
「こんなに綺麗な人がこの世にいるんだ。」
 雑誌で見るモデルより、テレビで見る女優よりずっと綺麗に見えた。他人にたいして興味を抱かないわたしだから、これまでに出会った女の顔というものをあまり覚えてはいないが間違いなく葵ちゃんはわたしの瞳に映った女の中で圧倒的に美しかった。美しさの中にもどこか可愛らしいところもあって、尚更インパクトは強かった。
 葵ちゃんはその店に入店したその月からずっと売上1位をキープしているとのことだった。美しくて可愛いだけじゃなくてお喋りも上手だった。葵ちゃんのついた席はいつでも笑い声が絶えることはなかった。本気で葵ちゃんを口説こうとする客はほとんどいなかった。そんなやつは大体新規の客で、葵ちゃんに一目惚れしてしまったやつばかりだった。


 あの女好きなうちの相方も言っていた。
「あの子は次元が違い過ぎる。」
 そのくらい光り輝いていて、眩しすぎたのだ。


 葵ちゃんのお父さんが亡くなったと聞いたのは、わたしと出会って数か月後のことだった。心筋梗塞というやつだったらしい。仲間とゴルフに行ったときに急に倒れてしまったらしい。それから二度と目を開けることはなかったと聞いた。


 わたしも通夜にも葬儀にも参列させてもらった。こんなドブネズミのような女が参列してもいいのかと不安だったけど。
 葬儀には物凄い数の人が参列した。そしてとても賑やかだった。お昼にみんなで弁当を食べて、少しだけ酒を飲んだりしたけどあれはまさに宴というものだった。
 わたしは葵ちゃんの父親の顔は見たこともないけれど、多くの人に愛されていたのだということくらいその場の空気で理解することが出来た。
 そういうところは娘の葵ちゃんもしっかり引き継いでいる。お父さんの葬儀なのに葵ちゃんの知り合いが何人も参列していた。同じ店で働くキャバ嬢とかお客さんとか。キャバ嬢のお客さんなんて昼間は大体仕事をしているサラリーマンが多いはずだ。それでも、彼らは時間を作ってしっかりと喪服を着て参列していた。それらの参列者は全員葵ちゃんに一言かけて帰るのだ。葵ちゃんは笑顔を見せることはなかった。真剣な面持ちでひとりひとりの参列者に頭を下げた。笑顔を見せなったのは父親を亡くした悲しさがあったからという理由ではなかった。参列してくれる人達に心から感謝の意味を込める為には笑顔では都合が悪かったのだろう。


 葵ちゃんの父親は小さな自動車整備工場を経営していた。従業員3人くらいの本当に小さな会社。
 父親が亡くなって葵ちゃんは自分がその工場を継ぐと言い出した。反対意見だらけだったらしい。自動車のことなどなにもしらない、夜の世界でしか働いたことのない人間の下では働けないと、残された従業員たちも全員退職してしまったらしい。


 直後にわたしに声がかかった。
「一緒に工場の経営するのを手伝ってくれないか。」と。


 わたしはふたつ返事でOKをするつもりだった。しかし、キャバ嬢もデリヘル嬢も止めるつもりはなかった。貧乏は嫌だったから。
 だが、葵ちゃんはそれをよしとしなかった。わたしの出来得る限りの時間と能力をつぎ込んで整備会社の仕事をしてくれというのだ。
「給料はどのくらいだしてくれるの?」
「月に30万くらいかな。」
 30万。当時わたしが稼いでいた金額の10分の1程度の金額だ。嫌だ。もう貧乏には戻りたくない。
 だから、わたしはその話を断った。


 ふう。少し長くなってしまったね。今日は疲れたのでこのくらいにしておこう
だけど、わたしと葵ちゃんの出会いというのは本当に奇跡的で運命的なものだった。後にわたし達は汗を流すというより、血を流す時間の方が長かったんじゃないかと思う程しんどい思いをした。


続きはまた明日聞いてくれ。決して退屈な話ではないから。

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