1月22日


 今日は気分が悪い。なぜならまたパチンコで負けたから。1万4千円。
 前回の7万に比べれば全然かわいい金額だけど、やっぱりパチンコに金を奪われるというものは気分が悪い。7万負けたあの日、もうこんな不毛なことに金を使うのはやめようと誓ったはずなのに。


 今度こそ辞めようとは思うのだけれど正直自信がない。


 わたしがパチンコ屋に足を運んでしまうのにはふたつ理由がある。


 ひとつは勝ってしまったときのあの快感が頭から離れないからだ。いや、正確には勝ったときの記憶じゃない。勝っているときの記憶。ハンドルを握っているだけで、1つ4円もの玉がジャラジャラと台から溢れてくるときに感じるあの感覚が忘れられない。それさえ忘れられればパチンコ屋には行かないだろう。だって、負けて悔しい思いをする日の方がずっと多いのだから。だけど、5回負けても1回勝てれば気分的にはチャラになってしまう。5回分の悔しさを1回の勝ちが癒してくれるのだから。だから、パチンコ屋に行くときは今日は多少負けても仕方がないという気分にもなってしまう。5回に1回勝てればいいんだ。もとから条件は不利なのだ。だから負けても仕方がない。そう割り切って考えて行くくせに、少しの金額でも負けたら大きくへこんでしまう。
 なぜ、逆の発想にならないのだろう。どうせパチンコ屋に行っても勝てる確率は5分の1しかない。そんな分の悪い勝負ならしない方がましだ。そう思うことが出来るのならなんて楽だろう。そんな考えにはならないからパチンコ依存症者というものが後を絶たないのだ。
 多分パチンコ依存症者の頭の中はわたしと同じなのではないだろうか。今日こそは絶対に勝てる!と思い込んでいる人はいないと思う。もしかしたら勝てるかもしれないなあ、という淡い期待感こそが気持ちいいのだと思う。絶対勝てるという気持ちより、淡い期待感の方が心地良いのだ。


 もうひとつの理由。変わり映えのしない日常から抜け出したいのだ。一日でもいいから朝から晩までパチンコ屋でゆっくりすごしたい。毎日、朝から晩までパソコンの前に座って作業しているんだ。今日一日、いや半日でもいいからその作業から解放させてくれ。
 つまりわたしは逃げ場を求めてパチンコ屋に足を運んでいるのだ。朝早くに起きるわけでもなく、眠たい目をこすって通勤するわけでもないわたしは、他人からしてみれば自堕落な生活をしているのかもしれない。でも、いっぱいいっぱいなんだよ。これでもさ。土日があるけでもないから毎日同じことを同じ時間繰り返している。それって意外と大変なんだ。人との関わりも持たないんだから。現実逃避したくなるわたしの気分も分かってくれ。


 人は苦しみを忘れることが出来るから前に進めるという話を聞いたことがある。でも、わたしは苦しみを忘れてしまうから同じ過ちをなんども繰り返す。日常から逃げ出したいと思っているくせに、パチンコで負けるという日常を何度も繰り返す。


 実にわたしの脳は都合が悪く出来ている。もっと優秀な脳が欲しいのだが、その為には日常の積み重ねを繰り返していくしかないのだろう。天高く飛び出したいのに、出来ることと言えば湖の中で足をバタバタと動かすだけ。矛盾しているようにも思えるが、自分を変える為には仕方のないことなのだろう。


 いつの日か。パチンコを打って負けてもへこまない心を手に入れたい。昔とは違う胸を張って稼いだと言える余りある金を手に入れたい。
 みみっちかもしれないがそれがわたしの目先であって、永遠の目標だ。

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