イチロー選手の引退で涙が止まらない。
努力の天才だとずっと尊敬していました。
もちろん今も。
お疲れ様です。
悲しくて何も書けない。
詳しいことはまた後程。
イチロー選手の引退で涙が止まらない。
努力の天才だとずっと尊敬していました。
もちろん今も。
お疲れ様です。
悲しくて何も書けない。
詳しいことはまた後程。
今日はお休み。
何にも頑張らない。
そんな日に限ってイライラして気分の悪いこともあるだろう。
今日は相方とお菓子を食べながら楽しく座談会。
笑いながら話をする。
毎日一緒にいるのに、そんなことは滅多にないのだ。
だから、今日は日記はこのくらいにさせてもらう。
まだまだ、相方とゆっくり会話を続けたいから。
さっきまでのお題は
「笑い」
次のお題は,
「坂井泉水のすごさ」
相方もZARDは好きだ。
たまにはこんな無駄な日があってもいいでしょう。
わたしの日常で現在一番大切なことは相方の描く恋愛小説の手伝いをすることだ。わたしからなにかを欲しがらなくても相方がなんでも与えてくれる状態が続いている。
果たしてそれでよいのだろうか。犬だって餌が欲しくなれば主人におねだりをするものだ。わたしはそれすらしていない。犬畜生以下の自己実現の努力しかしていない。
だから、せめて恋愛小説のあらすじだけでも聞いてみた。全部語ってくれなくてもいい。今、相方が書いているEpisodeの概要だけでも教えてくれまいか。
相方はわたしの方に向き直り、煙草を吸いながらゆっくりと話始めた。
男の主人公龍平と女の主人公姫奈はふたりが所属する文藝倶楽部の夏合宿に参加しているのだ。合宿の最終日には各々好みの本について論評をする機会を与えられるという。姫奈の提案によりふたりは羅生門という小説について論じることに決めた。ふたりが同じ本について論じるということは、その出来を比べられることになるので龍平はそれを怖れていた。ですから、ふたりは論評の切り口だけでも異なるものにしようと相談した。
姫奈は羅生門の主人公である下人をエゴイストであると説くという。それならば、龍平は下人が善であるか悪であるかという視点で論じるということに決めた。
姫奈は龍平が論じようとする話にダメだしばかりをする。姫奈の前で体裁を良くしたい龍平はその都度、姫奈の期待に応えられるような話が出来るように骨を折る。
論評会の当日。先に壇上に立つのは姫奈であった。
姫奈が口にするのは、事前に龍平と約束していた内容とは全く異なり、龍平が築き上げてきた論理を堂々と自分のものであるかのように語るのだという。
そこから先のあらすじはまだ、わたしに聞く資格はない。
やるべきことが明らかになったのだから。
まことに物語というものはおもしろい。
わたしの理解も想像も超えた出来事が平然と行われるのだから。
善とは道徳、良識、社会的規範に是と認められる行動や判断のこと。それらに否とされる行動や判断をしないというだけでは善とは言えない。相対的により良いとされるものではなく絶対的に良いと言えるものを善と言うのだ。人のことを殺めないというのは善ではない。人のことを活かすことを善と言う。話を元に戻すと、下人は老婆が死体から髪の毛を抜き取ることを咎める心理は善だった。下人は老婆の奇癖を力ずくで止めるべきだったのだ。一方悪とは善とは逆で道徳、良識、社会的規範に背く行動や判断をすることを指す。ただしそれらの基準は実に曖昧だ。その為、法と言う明確な基準を下回る者を悪とする場合が多い。生き残りのためとはいえ、老婆から着物を奪った下人は疑いなく悪だと言える。
善と悪とはその行動や判断について語られるものであり、人間の本質を定める言葉ではない。善人であっても悪をやらかすことはあるし、悪人であっても善を成し遂げることもある。善人、悪人と言う言葉にはあまり意味はない。絶対の善人というのも絶対の悪人というものもいない。
つまり、下人は善人であったのにも係わらず不義したに過ぎない。そうさせたのは、生きていく手段を選んでいる遑はなく、選んでいれば、築土の下か道ばたの土の上で饑死をするばかりであるという環境だったのだ。
どう?
これが龍平という男の善悪観。
拙いのは分かっている。
でも、今はそれでいいの。
相方の描くストーリー上、この龍平の言葉は姫奈に否定されるのだから。
否定されるのが前提なら書くのは楽チン。
珍しく相方からも一発OKが貰えたから今日はご機嫌。
ただ、不安感は相変わらずだね。
これがなくなればわたしは一日の終わりに幸せを感じて眠りにつくことが出来るのだけど、それはまだ認められていない。