2月11日

 「いじめ」についてのコラムを書くために今日は朝からパソコンの前に噛り付くように座っている。
 先日も言ったけど、わたしは中学生のときに「いじめに見えるべつのもの」を受けていた。周りからすればいじめにしか見えなかったんだろう。学校の先生も、無理して学校に来なくていいと言った。それは提案ではなくて指示だったね。あなたがいるとクラスの秩序が乱れるから来ないでくれと言われたんだ。少なくともわたしにはそう聞こえた。
 だって、わたしはいじめられているという認識が全く無かったのだもの。


 それどころかわたしは「いじめのようなもの」をしてくる相手に愛されていたんだもの。当然わたしも彼女のことを愛していたよ。
 この前わたしは生涯で恋をしたことがあるのは、一度だけだと書いたかもしれない。だけどそれは世間一般に認められる恋というものに限っての話だ。世間一般に認められない恋愛をしたこともある。それが彼女だ。


 先に愛を打ち明けてくれたのは彼女だった。放課後の教室に呼び出されて告白をされた。
 わたしは別に相手が女だからどうとかは全く問題にしなかった。愛してくれるのは嬉しかったし、わたしも彼女のことが好きだったから。


 それからふたりはなにをするのも一緒だった。クラスのみんなにはとても仲の良い友達同士にうつったことだろう。それ以上の関係なんて想像もつかなかったのだろうから。だけどときどきわたし達は仲のいい友達の枠を超えた行動をしていた。みんなの前で手を繋いだり、頭を撫であったり。


 告白を受けた放課後の教室がふたりの愛を確かめ合う場所だった。ふたりは互いに愛していると呟くだけだったけど、次第に愛を確かめ合う行動はエスカレートして付き合って1か月もする頃にはキスをするようになった。
 キスにハマるのはわたしの方が先だった。短い舌で彼女の唇を舐めるようになり、もっと奥まで舌をのばして彼女のそれと絡めあうことに夢中になった。


 多分どこにでもあるカップルの姿だったと思う。最初はね。
だけど彼女は次第にわたしに暴力を振るうことが多くなった。叩いたり、首を絞めたり。暴言を吐くこともあったし、カッターナイフをチラつかせることもあった。
 だけど、わたしを泣かせた後はその倍も10倍もわたしを愛してくれたんだ。わたしの頭を抱えて抱き締めてくれたり、涙を流して愛していると言ってくれたり。
   彼女にとってはわたしを傷付けることも、頭を撫でることも等しくわたしを愛する行動の一部だったのだろう。だからわたしは普通の女より2倍愛されている気がした。


  ある日、彼女はもうわたしの身体を傷付けることはしないと言った。その代わり、わたしの心を傷付けることに夢中になった。それでも、放課後になるときちんと愛してくれたんだよ。


それがふたりの愛の形だったのに、大人達はそれを認めてくれなかった。いびつな愛の形というものは認めてもらえなかった。


  わたしが学校に行かなくなってしばらくしてから、やがて彼女は転校して行った。お父さんの仕事の都合で。
  だけど嘘だと思っている。きっと居場所を失くしてしまったんだと思う。奪われてしまったんだと思っている。


  世界は馬鹿な大人達の理解の枠に収まりきれない程広い。大人になってから色んな愛の形があることを教えられた。どんな大人も愛の形については何ひとつ教えてくれなかった。
   算数や国語よりずっと大切なことなのにね。学校というものはそういうものだろう。将来カネになりそうなことしか教えてくれない。


  とにかく、わたしと彼女の愛は他人に「いじめだ。」と批判されて引き裂かれてしまった。なんでもかんでも人にちょっかいを出すことがいじめだと思うなよ。あんた達には「いじめに見えるもの」が、子供にとっては繋がりだったりするのだから。
   自分の子供がいじめにあっているのか、社会勉強をしているのかくらい見分けてやれよ。それが親のするべきことだろう。なにかあれば子供を檻の中に閉じ込めてしまうことが親の仕事だと思うようでは困る。子供はもっと複雑な社会の中で生きているのだから。

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