1月26日

 モチベーションを保つためには、欲求と快楽というものは切っても切り離せないものだとわたしは思う。
 それは当然、相方についても同じなの。


 人間というものは自分の快楽を得る為に行動する生き物。人間は先に欲求というものに襲われる。食欲、性欲、独占欲。その欲を満たしたときに得られるものが快楽なの。


 欲求はね、快楽に辿り着くまでのひとつのドアみたいなものなの。ドアを開けた向こうに求める快楽がある。ドアの先にしか快楽は存在しないものなの。ただし、ドアの先にあるものが必ずしも快楽出るとは限らないけどね。SEXなんかがいい例だと思う。愛する人とSEXがしたいという欲求にかられてSEXしても必ずしも快楽が得られるわけではないでしょう。
 やっている最中も、やり終えた後も虚しさだけしか残らないことがあるでしょう。欲求を満たさなければ快楽は手に入らないし、欲求というものがなければ快楽も得られないの。


 相方にもあるんだ。欲求というものが。相方はそれを満たすために生きているんだ。相方の小説家になりたいという気持ちは尊重されたいという欲求よ。自分が価値あるものだと認められ、尊重されることを欲しているんでしょう。


 だけど、相方の小説が書きたいという欲求は尊重の欲求よりずっとレベルの低い生理的な欲求だと思うわ。相方は小説さえ書ければ、それを誰かに求められなくてもいい、社会的な地位が得られなくてもいいと思っているんじゃないかしら。小説を書いていることで生理的欲求を満たしているんだと思うわ。だから相方の小説には知性も、ユーモアもないの。相方にとって小説を書くということは、食事や睡眠や排泄と同じレベルなのよ。だからこそ、わたしはあなたの書く小説に惹かれるの。ただ、食べて、眠って、うんちをしている子供を見て母親が微笑むのと一緒かな。


 今日も彼は生理的欲求を満たす為に一日中パソコンの前にしがみついている。きっと気持ちがいいんだろう。生理的欲求にかられて小説を書いているのだから、それを誰かに止めることは出来ない。


 満足いくまで書いていればいいさ。幸いそれを邪魔するものも、関心を持つものもたいして存在しないのだから。

×

非ログインユーザーとして返信する