1月25日

 わたしはエゴイストである。利己主義者である。
自分の利益を最優先し、他人の利益を軽視している。


 利己主義の対義語は利他主義というらしい。一体どんな思想・発想を持つものなのかを調べてみた。どうやら簡単に言うと「自己の利益よりも、他者の利益を優先する考え方」を持つ人のことらしい。嫌なやつと思われるかもしれないが、わたしにはこの考え方は理解出来ない。しかし、賛同できないわけではない。自分のことよりも他者を想いやる気持ちというものは素晴らしいが、どうもその考え方には大きな矛盾が存在すると感じてしまうのだ。すなわち、わたしは利他主義者というものを軽視する。理由はいくつがあるのだが。


 その理由のひとつめ。利他主義者は自分がリスクを背負ってでも相手の幸福を願うものよね。では、相手がいないときはなにを考えるの。ひとりぼっちだったときは一体なにを願っているの。利他主義者というものは常に自分の周りに誰かがいることを前提にしている。孤独というものを認めていないの。孤独な人は間違いなく存在する。一日中誰とも会話も出来ない人がいる。そんな人の存在を認めていないのが愚かしいのだ。


 ふたつめ。自分の価値観で判断した幸せというものを押し付けること。個人の幸せというものは誰かと共有出来るものではないの。利他主義者が勝手に相手のことを考えたつもりになって、求められてもいない偽物の幸せを押し付けることが愚かしい。


 最後に。他人に奉仕したことで結局満足するのは利他主義者本人だということ。誰かの為に奉仕することに喜び感じるということ。それは誰かの満足の為に動いているのではない。自分の満足の為に行動しているだけなの。実に利己的な考え方ね。誰かの為に行動をしようと思うと感じてしまった時点でそれは利己的な行動だわ。


 すなわち利他主義者というものはこの世に存在しないの。


 どうかな。わたしのいうことはどこかねじ曲がっていたり、狂っていたりするのかな。普段はこんな難しいことなど考えたりはしないんだけどね。ただ、相方が手掛ける新しい小説のネームを読んでみると、今度は随分思想に強い女の子を主人公にするつもりらしい。
 だから、わたしも相方の話し相手になれるようにしばらくは思想と哲学強めに生きてみたいと考えているのだ。


 ただ、こんな日記をつけるのは非常に肩が凝る。脳みそも疲れてしまう。だから、なにか小さなハッピーが訪れないかな。日常に楽しみが転がっていないと生きているのが窮屈になってしまうからね。

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